JUGEMテーマ:読書

 

 

2017年が始まりました。

旧年中はたいへんお世話になりました。

本年もミシマ社を、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

     *  *  *

 

元日は、鴨川の北大路橋の南側で凧揚げをしました。

凧揚げなんていったい何十年ぶりだったでしょうか?

おもちゃのような西洋凧は、簡単に風に乗ってくれるため、

苦もなく大空へと舞い上がりました。

 

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本年が皆様にとりまして健やかで心豊かな一年でありますように。

 

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今日の「みんなのミシマガジン」今日のひとことに、ミシマ社古参の渡辺が、こんなことを書いておりました。

 

皆さまにとって、2016年はどんな一年でしたか? 私たちミシマガジン編集部は、元旦から大晦日まで、毎日記事を更新しつづけることができ、いま、ちょっとばかりホッとしています。執筆いただいている書き手の皆さま、運営を支えていただいているサポーターの皆さま、毎日読みにきてくださる読者の皆さま、日々の更新や毎月の紙版ミシマガ作成に関わってくださる皆さま、今年も大変お世話になりました。みんなの、みんなによる、みんなのための雑誌。それが、「みんなのミシマガジン」です。明日から始まる2017年のミシマガジンにもどうかご期待くださいませ。本日は月末恒例「編集後記」をお届けします。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。

 

私の思いも、まったく同じです。一年を通じて、さまざまなかたちで関わってくださった皆様、ミシマガ並びにミシマ社の本を読んでくださった皆様へ、心から感謝しております。本当にありがとうございました。

 

ちなみに、「編集後記」で私は、こんなことを書きました。

 

30年後、2016年を振り返るときがあったなら、70歳を超えた私はどんな感想を述べるでしょうか。「いやぁタフな年でしたよ。ふぉふぉふぉっ」と笑顔で語るじいさんが理想。「知らん、そんなことは知らん!」などと周りに一切理解されない頑な老人にだけではなっていたくないな。「はて、30年前ですか、えー、赤ちゃんじゃったろうか」。こんなふうになっていないとも言えませんが・・・。はて、もう今年も残すところ半日じゃわい。ーー皆様、今年一年ありがとうございました! 来る年が良き一年でありますように。(三島邦弘)

 

どうぞ良いお年を!!

 

 

先日のブログ「マイナンバーは扱いません。」で、最終的に言いたかったことをうっかり書き忘れておりました。

 

つまりは、

 

「マイナンバーはやめましょう」

 

ということに尽きます。

 

内田樹先生がツイートとされていた通りです。

 

「間違っていました。やめます」という英断を期するのみです。心から。

 

 

 

「マイナンバーやめようよ」

ツイッターで、こんなつぶやきを見ない日はありません。

タイムラインで流れるのを見るにつれ、ああ早くブログを更新したい!

という思いに駆られつつ、早一カ月が経ちました。

 

仲良くさせていただいている方々から「やってられない!」系苦情を聞くたび、「僕はこうしてますよ」と言うと、なるほど!と言っていただけることしばしば。

それで、これはブログに書くほうがよさそうだ、と思ってきたのです。

 

以下、個人と会社、それぞれの対応のしかたを書こうと思います。

 

まずは、個人の対応から。

 

私自身、ときどき講演などを依頼されることがあると、

依頼先がちょっとおかたい組織の場合なんかだと、「マイナンバーの提示」を求められます。

そのたび、こう答えるようにしています。

「マイナンバーを受け取っておりません」(事実です)

そのうえで、

「仮に受け取っていたとしても、個人情報保護の観点からお教えできません」

たいてい、これでわかりました、となります。

ですが、もしこれで納得しない(やや硬直気味な)団体が出てきたときは、このように答えるつもりでいます。

「提出したとして、もし、貴団体から情報が流出したとき、

どのような責任と補償をとっていただけるのでしょう?」

なんだかクレーマーっぽくて嫌なので、言う機会がないことを願うばかりです。

さすがに、ここまで言えば、「ふつう」であれば引き下がるはずです。

 

が、世の中、よくいえば慎重なのですが、臆病というのが適当な、しぶとい組織があるものです。

「マイナンバー提出拒否のついての確認書」なるものを求めてくるところがあるそうです。

「私が被る一切の不利益について理解し云々」といった書面にサインを求めるケースがあるとのこと。

こういうところに対しては、逆に、こちらも書面を用意し、先方にもサインをもらうしかないでしょう。

つまり、「漏洩リスク」に対し、責任をとってもらう旨を書面化する。

たとえば、「万一、貴団体から情報が漏れた場合、こちらが被る一切の不利益に対して全責任を負うものとする。

また、それによって生じる経済的、精神的損失に対して全面的に補填する義務をもつ」といった文面で。

 

念のため申し上げますが、ここで書かれていることはすべて、私個人の対応のしかたです。

しかも私はマイナンバーの専門家であるわけもなく、その知識もゼロにひとしい。

ただ、それだけに、自分が責任を負える範囲を超えてはいけない。

そのことだけは知っているつもりです。

そして、「絶対に漏洩しない」ということは絶対にない、ということもわかっているつもりです。

マイナンバーに帰属する情報が大切なものであればあるほど、自分で守るしかない。そう考えています。

 

ですので、会社としての対応も、必然、個人としての対応に比例したものになります。

結論から申せば、

「そんな大切なものを、とうてい、会社は預かれません」。

 

 

ミシマ社は、関係者の方々のマイナンバーを扱わない方針をとっております。

とてもじゃないですが、わざわざ危険を抱え込むようなことはできません。

先ほど申したように、必ず漏れるのですから。

 

私たちは出版社として、「一冊入魂」を掲げ、日々の出版活動に打ち込んでいます。

たとえば、一冊の本をつくるばあい、著者や担当編集者はもちろん、

プロの校正者およびミシマ社メンバーも全員、何度も何度も原稿を読みます。

それでも、ミスが出ることがあります。

所詮、そのレベルだ、と言われたら、はいそうです、とお答えするほかありません。

ただ、それを自覚するだけに、本業以外のところで、絶対ミスを犯すな、と言われても、「絶対」なんてことは口が裂けても約束できないのです。

約束できないものを、「言われたから」という理由で抱え込むことほど愚かで無責任なことはないでしょう。

マイナンバー収集は、将来に大きな爆弾を抱え込むにひとしい。

これが、マイナンバー専門家ではないが、自社についての責任はすべて負うつもりでいる、会社の代表である私の嘘偽らざる実感です。

 

いやいや、漏洩しないようセキュリティをしっかりすればいいではないか。

こんな反論もあるかと思います。

これに対しては、ひとつは、そのお金と時間と労力があれば、本づくりに使いたい。

そして、メンバーひとりひとりに還元したい。

これが心からの叫びです。

次に、たとえそれがすべて満たされたとしても、

完全完璧なセキュリティなど、中小企業でつくることができるのでしょうか。

国や大企業が、絶対安全と言われた原発に、いったいどれほどのコストをかけてきたというのでしょう。

それでも「漏れる」のです。

そして、一度漏れてしまったあとの回収・修復コストは、もはや天文学的ではないですか。

 

マイナンバーは原発とは違いますが、中小企業にとっては、同程度のデンジャーといっていいでしょう。

そのデンジャーをわざわざ抱えるなんて・・・。

ちいさな会社を毎日必死に営む身にとっては、愚の骨頂にしか思えません。

 

以上のような理由で、ミシマ社はマイナンバーを扱わないことにしております。

何卒ご理解いただけましたら幸いです。

 

私たちの仕事のひとつひとつはすべて、「一冊」に行き着くものでありたいです。

思いをこめてつくった「一冊」となって、本屋さんでお会いできるのを楽しみにお待ちしています。

 

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拙著『計画と無計画のあいだ』の韓国版ができました!

 

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ずいぶんと表紙デザインが変わりましたね。

タイトル文字が躍っている感じがして、なんだか、かわいいです。

ちなみに、ミシマ社ロゴの漫画が表紙にいくつか使われていますが、

顔のひとつには「ミシマ」ではなく、「ハヤシ」と書かれています・・。

 

巻末には京都オフィスに併設している「ミシマ社の本屋さん」についてのレポートが

韓国版のボーナストラック的に掲載されています。

そこには、店長の鳥居がにっこり笑って登場しています。著者の写真はありません・・・。

 

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以下、韓国版に書き下ろした「序文」を掲載いたします。

 

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『計画と無計画のあいだ』 韓国版序文に寄せて

 

 

 初めて韓国を訪れたのは、1992年の夏。高校2年の修学旅行のときでした。大阪南港からフェリーに乗り、釜山港へ。そこでお昼ご飯を食べたあと(韓国での人生初食事!)、バスで慶州へ向かい、韓国の新幹線と当時呼ばれた特急電車に乗り換え、ソウルへ入ったのでした。わずか数日の滞在。それも自由行動すら許されない……。それでも、車窓からの景色、食べ物の辛さと勢い、人々の皮膚やら口やらから発せられる圧倒的パワー、すべてが新鮮でした。それはなにも初めての海外だったからだけではないはずです。

 めっちゃ面白かった、韓国! 

 帰国後、友人たちに何度も語ったものです。高校生の僕は、韓国という場にすっかり魅了されたのでした。

 その後、大学生のときに一度行ったきりですが、その滞在でさらに韓国が好きになりました。

 どうして僕はこんなに韓国に惹かれるのか?

 今回、拙著『計画と無計画のあいだ』の韓国版の序文をこうして書いていて、その理由がはたとわかった気がしています。というのは、今から振り返ってみると、まさにあの頃の韓国のもつ空気が「計画と無計画のあいだ」のものだった。そう思うに至ったのです。

 何かがすごい勢いで成長するとき、あまり効率性や計画性を優先していては、伸びるものも伸びない。だからといって、社会のルールや「常識」を無視していいわけがない。その「あいだ」で、できるかぎり伸びやかに動いていくーー。その行為を「計画と無計画のあいだ」と称したわけです。当時、すさまじい経済成長を遂げる韓国にそのパワーを感じたのは間違いないでしょう。また、一市民としても、安定だけでなく冒険を好む気質の人々が多いような気もしています(違っていたらごめんなさい)。そんな韓国とそこに住む人たちの力が、「計画と無計画のあいだ」の原初的パワーを僕に与えた、のかもしれません。

 ですので、本書が韓国の皆さまに読んでいただけるというのは、特別な喜びです。グローバル化、企業のコングロマリット化などが止まらない昨今ですが、そういう「大きなもの」に押しつぶされることなく、「一人」の人間として生命力が湧出する日々を送る。そのために、本書が少しでもお役に立つことになれば望外の幸せです。

                三島邦弘