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ご報告が遅くなりましたが、ミシマ社はこの3月1日より、以下のような体制で仮スタートをきっております。

なお、本格スタートは本年4月1日からの予定です。

 

代表はひきつづき、私、三島邦弘がおこないます。

大きな変更点としては、営業業務の本部機能(受注、発注、請求業務など)の中心を、

自由が丘オフィスから京都オフィスに移します。

それにともない、ミシマ社の最古参メンバー渡辺佑一が京都オフィスへ異動。

 

また、仕掛け屋チーム・長谷川も京都オフィスへ。

今後は、「手練れ意匠部」(byバッキー井上)とチーム改名・再編して、

他社さんのお仕事も受注するようにいたします。(主にイラスト)

 

つまり、京都オフィスが営業の本部機能をにない、加えて、新事業として「手練れ意匠部」が京都で発足する。

このようになります。

 

 

メンバーの所属は、下記のようになります。

 

自由が丘オフィス(星野、池畑、鳥居、新居、岡田) 

   *新居は現在、数カ月間限定での自由が丘オフィス研修中です。その後の配属は未定。

京都オフィス(渡辺、長谷川、田渕) 

   *鳥居の所属先は、自由が丘オフィスですが、住居との関係で京都オフィスにも頻繁に出社します。

私は、ひきつづき、両方を行き来します。

 

 

こうすることによって、20代の若手メンバーが、自主性をもって高めて、仕事に臨めるように。

そして、30代以上のメンバーが、より責任ある仕事を担っていくことをめざします。

 

 

なぜ、このような体制をとることにしたのか。

と思われた方のために簡単にご説明いたします。

 

二拠点体制がスタートしたのは、2011年4月。実質的には、翌年の12年4月からといっていいと思います。

しかし、「二拠点」と謳いながら、実際にはメンバーがほほ固定していました。

もちろん、一箇所にいつづけることで初めて深まる仕事があるのも事実です。

ただ、ミシマ社のこの数年でいえば、「深まる」よりもむしろ「居着く」に逆作用していました。

(詳細は省きますが、居着きは武道においてもっとも避けるべき行為です)

 

とくに、ミシマ社は会社が若いだけでなく、メンバーもきわめて若いと言えるはず(出版界においては間違いないかと)。

にもかかわらず、「居着く」ようなことが少しでも起きるのは、言語道断。

もっともっと、濃い仕事に全身でぶつからなくては。

そうした経験を通して、日々謙虚に、多くを学び、多くを身につけなければーー。

それなくして、個人としても、会社としても、「先」などあろうはずがありません。

すくなくとも、ミシマ社という会社は、「そういう」会社です。

「おもしろい」を通して、世界に貢献する。

10年前、この宣誓をもって始まった出版社です。

仮にも、他者に貢献しようと思うのなら、居着いている場合ではない。

若年寄のように守りに入っていては、もはや会社の存続意義すらない。

私はそのように考えています。

 

いずれにせよ今後は、より流動性の高いチーム運営を心がけるつもりです。

ひとことでいえば、二拠点体制の良さを生かしていく。

 

以上が、新体制の理由です。

 

言うまでもなく、体制というのは、かたちにすぎません。

ただし、これは会社としての意思を表明した「かたち」であるのも事実です。

 

このかたちに血を通わせ、実体あるものにしなければなりません。

つまりは、この「かたち」をとることで、さらにいっそう、一人でも多くの方々に喜んでいただける仕事を、メンバーひとりひとりができるようにならなければいけません。

そうなるよう、メンバー一同、日々邁進してまいります。

 

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

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2月半ば、衝撃のニュースが流れました。

新潮社の雑誌「考える人」が4月で休刊・・・。

 

縁あって、「考える人」創刊編集長の松家仁之さんと対談させていただいたこともあります。

そして、なんといっても、現編集長・河野通和さんの最初の著作『言葉はこうして生き残った』を弊社から1月末に刊行したばかり。

ニュースは、発刊から数週間後の出来事でした。

 

もちろん、休刊の知らせは寝耳に水。まして、その理由など想像もつきません。

ひたすら残念だと感じるのみです。

いまとなっては、こう思うしかありません。

「考える人」編集長が残したいと願った言葉は、「こうして」(本となって)「生き残った」。

雑誌はもう出なくなるかもしれませんが、本というかたちのなかに、言葉は、そこに心血を注いだ人の魂は、しっかりと宿り、これからもずっと生き続ける、と。

それがせめてもの救いのように感じる一方で、自分たちが果たせねばならぬ「届ける」という行為のもつ重さをひしひしと感じます。

本当に「生き残った」となるかどうかは、私たち次第ですから。

 

一冊入魂。

これは、つくるところで留まっていてはならぬもの。

届け、届けつづけて、初めて、言葉と行為が一致しはじめます。

 

松家さんを引き継ぐ思いを綴った言葉から始まる本書。

その本を発刊した私たち小さな出版社は、二人の、大先輩であり名編集長の思いをずっしり担っていると言えます。

その重さとありがたさを全身で感じつつーーナウ・オン・ボード。

 

 

*ちょうど昨日(2月26日)産経新聞にて、河野さんの著者インタビューが掲載されました。

記者の方が、河野さんのお人柄、誠実さを見事に表現してくださっています。

 

sankeikohno

 

 

 

 

 

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「シリーズ22世紀を生きる」は、私が尊敬してやまない方々に、全身全霊で「聞く」というところから始め、これからの時代を生きていくための深い知恵を得教えていただこう、という試みです。

2012年9月に、第一弾としてバッキー井上『人生、行きがかりじょう』を発刊。

以降、第二弾・安田登『あわいの力』、第三弾・平川克美『「消費」をやめる』、そして第四弾に、内田樹『街場の戦争論』を2014年10月に出しました。

あれから2年ぶりとなるシリーズ第五弾が、釈徹宗『お世話され上手』なのです。

 

まさに肝いりのシリーズなのですが、なかでも本書は、個人的にとても大きな影響を受けた一冊でもあります。

 

たとえば、認知症グループホーム「むつみ庵」を運営する釈先生の空間づくりの発想など。

 

「むつみ庵に来れば誰もが実感できると思う。明らかに仏間・お仏壇が家の方向性を生み出している。(略)

認知症の人でも、けっしてお仏壇に足を向けて寝転んだりしない。

床の間などはなくても困らない。なくても暮らせる。(略)しかし、床の間をつくってしまうと、そこを荷物置き場やゴミ置き場にするのは抵抗がある。やはりお花を生けたり、お香を置いたり、掛け軸を掛けたりする。

あってもなくても暮らせるが、あれば気になるものがある生活とない生活は違う

 

こうした釈先生の実践とお言葉が、ミシマ社の古民家オフィスや私の自宅の随所に生きています(実際、京都オフィスの床の間に掛け軸をかけているのも、自宅に仏壇を置いたのも、本書の影響にほかなりません)。

 

現代の効率最優先の考えからは「不合理」と認定されるようなところに、文化が宿り、育成させる。と釈先生は述べられています。

これは、私も実感するところです。なにも文化を生み出しているといいたいわけではなく、ただ、すくなくとも、そういう不合理だらけの諸々がミシマ社の本づくりや会社運営の基礎を成しているのは間違いありません。そしてそれは、自分の生命力を無意識下で高めてくれている、そんな感じを確かにもっています。

 

このように実際に生きた知恵をいっぱい授けてくれる一冊なのですが、鷲田清一先生が、朝日新聞(2017/2/17)の「折々のことば」でご紹介いただいた一文は、ここでした。その目のつけどころにただただ脱帽・・・。

 

oriorishaku

 

 

 

 

 

 

 

 

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書評を拝読して、震えました。

自分よりずっと年下の同業者の著作を、こんなふうに評されるなんて・・・。

 

建築家・隈研吾さんが、

光嶋裕介さん著『これからの建築 スケッチしながら考えた』を、信濃毎日新聞で絶賛くださいました。

 

「本当に、素直でフラットでスムーズな建築論である」

という書き出しにつづけて、「(略)旅と日常という境がまるでなく、歴史に残る名建築と旅先であった渋いジャズ喫茶の境もなくて、すべてがフラットでスムーズに進行していくのである。こういう建築の記述方法は、今までなかった。

普通のようでいて、実に新しい種類の建築本なのである」

 

「普通のようでいて、実に新しい種類の建築本」。

その理由を隈さんは、こう分析されます。

「それは建築が特別なものであった時代が終わったということである」。

 

書評内において、今をときめく建築家である隈研吾氏が、「建築の一時代の終焉」を告げたのです。

これは、歴史的な事件といっていいのではないでしょうか。

 

「建築という特別なものを、建築家という選ばれた特別な人が作るということを、われわれは当たり前のことだと思って育ってきた。」

「しかし光嶋さんという建築家は、すでに違う時代、違う場所にたっている。」

 

同時代の後輩建築家のことを、「違う時代、違う場所にたっている」と断定。

これは、簡単なようでいて、とても勇気のある発言です。

若手の考えを斥けることで、自分の立場を優位に立たせようとする。そういうやり方で後輩を厳しく迎えることだって、可能であるはずです。

しかし、隈さんは、光嶋さんの姿、考えに、新しい時代を見出された。

それは、隈さんが大家であることに安住するのではなく、現役の一建築家として時代に真正面から向き合っておられる、そのなによりの証左といえると思います。

 

「そこでは建築は特別なもの、突出するものではあってはならず、(略)周囲の環境の全体性へと響き合って育つ、植物のようなものへと変わりつつある。」

 

本書評が建築新時代の幕開けの宣言となり、本書が建築新時代の旗印的一冊とならんことを願ってやみません。

 

隈研吾さん、すばらしい書評を本当にありがとうございました。

 

 

 

 

kumakoshima

 

 

 

 

 

 

 

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ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」「ちゃぶ台Vol.2 革命前々夜号」が、「中国新聞」(2017/1/3)の社説に載りました。

 

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年始の社説で、取り上げていただけたのは望外の光栄です。

「出版」を「農業」にたとえて、耕すところからおこなっている。

この雑誌もまたそうです。

というようなことを取材ではお答えしたのですが、

おそらく、農業、出版にかぎらず、耕すところから始めることが、

あらゆる産業において必要なのではないか、と直感しています。

 

「ちゃぶ台」の二冊が、そんな直感を共有できる方々にとって、

少しでも参考になれば幸いです。

 

Vol.2の目次を、下記に掲載しておきます。

 

*「ちゃぶ台Vol.2 革命前々夜号」目次

はじめに
特集0 「食×会社」を考える
周防大島の農家さんを訪ねて
山本ふみこ /おみおつけの<み>を何にするか
特集1 会社の終わり、companyの始まり
平川克美  /株式会社の終焉
近藤淳也  /会社の人たちと「食べる」ことについて

中山咲子  /まかないのさっこちゃん
山口ミルコ /ダーチャでニチェボー
藤原辰史  /縁食論――孤食と共食のあいだ
植本一子  /言葉をもらう
榎本俊二  /ギャグマンガ家山陰移住ストーリー
ブックレビュー 内澤旬子『漂うままに島に着き』
佐藤ジュンコ/甘辛ジュンコの人生案内
矢萩多聞  /おなじ釜のビリヤーニー
特集2 百姓のすすめ
宮田正樹  /命をつなぐ仕事を
小野邦彦  /ブレのある野菜を流通・販売する

後藤正文  /どんな音楽を選んで聴くのかも、どこかで社会に関わってる
井川直子  /過去のすべてに恩返しする
鷲田清一  /集団として生き延びていくために
中村明珍  /里山のDIY野郎
内田健太郎 /マルシェを「つづける」ということ

加地猛   /コンビニをやりたい
益田ミリ  /なんとなく、未来の夏休み
少し長めの編集後記