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ぼくの内臓はぼくのもの?
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    ときどきミシマ社のお昼は哲学的だ。
    今日は、ちゃぶだいを囲んで、味よしさんのお弁当をつまんでいた。
    すると、一人が「わたし、断食しようと思うんです」と言った。はてさてなぜに?
    「必要以上にご飯を摂っていると思うんです。内臓にいっぱい余分なもの、要らないものがある気がして。それを一回全部出してしまいたいんです」

    あらまあ、そうですか。

    たしかに理屈はわかる。現代人は余分だらけだと思う。なくても全然困らないものばかりに、時間とエネルギーを使っている(ツイッターなんてその最たるものだと思う)。だけど、その余分が人を人たらしめてるんじゃないですか、とも思う。
    まあ、そんなことを語れば長くなるし、お昼ご飯もまずくなるから、貝のように口を閉じる。

    そしてぼくは静かに考えた。

    「内臓をクリーンにしたいと思うのは人間だけではないだろうか? たぶん、庭にある柿の木は、実の中身から余分なものをとりだし、「実」としてパーフェクトになること、なんてことは求めていないだろう。
    きっと、自分の身体の一部を、意識的に「変体」させようとするのは人間だけだ。そんな発想すら、人間以外にはないだろう」

    そもそも、とさらに考える。

    「ぼくの内臓と思っている内臓は、果たして「ぼくのもの」なのだろうか。
    ぼくの体の中にはあるけれど、だからといって、ぼくのもの、ということになるまい。人間の身体をひとつの容器とみたてたら、内臓は、そこに収まる食品たち。とすれば・・・。
    その容器に収まっている食品は、その容器のもの、だろうか。ちょっと、そう捉えるには無理がある。
    容器は容器、食品は食品。そして、その食品の中に入っている、種やら実やらも、たまたまそこに入っているものにすぎない。つまり、実は実、種は種・・・」

    そんなふうに考えていくと、ひとつの疑問に必ずつきあたる。

    ぼくの中の内臓と、庭にある柿の実の間には、いったいぜんたい、どういう違いがあるのだろう?

    今のぼくにはわかりません。そして、こんな思考をしていたとは、昼食時にはとてもいえません(だって、おいしくなくなりそうだし)。

    だから、ちゃぶ台を囲んで食しつつ、ぼくはこう語ったのです。

    「断食、いいんじゃないですか。やりたいなら止めないですよ。
    ただ・・・」

    そうすることで、世界が広がる方向へ向かうといいな。
    自分の世界と周りの世界とまだ見ぬ多くの他者の世界が。
    | 思いついたこと | 14:36 | comments(3) | trackbacks(0) |
    コメント
    私はおなかに赤ちゃんが入ったとき
    「私の身体は私のものではない」と強く思いました。
    私の食べるもの・飲むもの・見るもの・聞くもの・感じるもの
    全てが赤ちゃんをはぐくむ。
    今までの不摂生を強く反省しました。

    断食、ムリがなければいいですよね。
    ムリをすると身体をこわしますから。
    | 一読者 | 2010/06/29 9:56 PM |
    こんなこと言うミシマ社のメンバーはあの方?
    いまは世の中に断食が流行っているような風潮がありますが、読者をつかむためにもミーハーな気持ちは大切なんでしょうね。
    でも、実際には無茶を止める係がいないといけないので、大変ですね。
    | saruko | 2010/07/02 10:20 PM |
    コメントありがとうございます。それにご心配までいただき・・。ふだん無茶ことを言っているのはほとんど僕なので、たまには止めるほうにまわらないとバチが当たるというものです。
    | mishima | 2010/07/03 9:40 PM |
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