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三カ月半ぶりの休日
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    みなさんはどんな三連休を過ごされましたか? ぼくは、約三カ月半ぶりに休日をとりました(自転車で転び、顎を縫った翌日を除いて)。 連休の中日である9日(日)から今日まで二泊三日の旅に出ました。 向かった先は、伊豆大島。 今回は、初めての地、新島へ行きました。 その海の美しさは、これまで見たどの海よりも美しいものでした。 そして昨日から大島へ移り、今朝、三原山へ登りました。 その壮厳かつ雄大な景色に包まれ、心身ともに完全復活できました。 しばらくブログを更新せずに失礼しました。 『計画と無計画のあいだ』の執筆と日々の編集・出版活動に、「いっぱいいっぱい」になっていました。 けど、もう大丈夫です。 明日からまた突っ走ります。 ひきつづき、温かく見守っていただければ幸いです。
    | 思いついたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
    京都のすごさをまざまざと。
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      新刊がでるたび、本にはさみこんでいます「ミシマ社通信」。

      chihotushin

      この中に、毎回、私も手書きでひとこと書いています。「三島より」というコーナーで。
      ご存じでした?(笑)

      いま、地方で生きるということ』の中に入っているVol.26では、こんなことを書きました。

      「先日、京都の鴨川を歩いていてあることに気がつきました。
      「多摩川と鴨川、一見してそこにいる人に違いがある!」
      さて、何がそんなに違うのでしょう?
      おわかりになられましたか。
      答え(というより、私の思い込み)は、鴨川にいる人のほうが、圧倒的に上半身、裸! ベンチに寝そべっている人も、だべっている学生さんも、ジョギングしているおじさんも、裸、裸、裸!
      京都で生きるということは、そういう「文化」に慣れることも含めてなのかもしれません」


      京都と東京、どちらにも住んだことのある方、どう思われますか?
      けっこう真理だと思うのですが。。。
      と思っていると、19日に京都・城陽オフィスでお会いしたTさんという女性が、「その通りです!」と同意してくださったのでした。
      九州出身のTさん、三年前にはじめて京都に来たとき、びっくりしたそうです。
      「どうして鴨川にいる男の人は裸なの??」
      「パンツといっても、それ、ギリギリすぎません・・・というのを穿いたおじさんもいるし」

      いえいえ、これ、本当です。
      昨日から涼しくなりましたが、夏の京都に行ったときには、ぜひお確かめください。鴨川にいる裸族たちを! それこそ、真の京都に触れるということなのですから(たぶん)。

      ちなみに、Tさんとは、こんな疑問をぶつけあってもいました。
      「裸は、鴨川内だけ許されるのか? 上半身裸でジョギングしていたおじさんが、鴨川を出て、そのまま自宅まで走るのはOKか?」

      おそらく、鴨川内だけ、それも、丸太町より北からだけがOKなのだろうという結論で、いったん落ち着きを見せました(三条に近づくほど、カップル中心になるので)。

      すると、その日の夜。
      クボタ君と、四条烏丸から、南へ向いて歩いていると。

      烏丸通り沿い、四条から一本南にいった角に、

      いた。

      上半身裸のおじさんが、

      いた。

      信号の下になぜ置いてあるパイプ椅子に、上半身裸で座っている。
      夜の10時に。一人、裸で!
      どうやら、気持ちよさそうに、眠っているようだ。

      なぜ?

      という質問はおそらく愚。
      もう、そういうもの、としかいいようがない。

      京都は、こういう不思議の町。
      本当のすごさは、観光ガイドには絶対に載っていない。
      店は気取ったところも多いかもしれないが、お金のかからないところ(道とか橋とか川)に、本当の京都が眠っている。
      そしてそこには、五感を刺激してやまないものがある。

      わずか一泊でしたが、あらためて、そのことを思い出すことのできた出張でした。

      京都は、やっぱりすごいわ!
      | 思いついたこと | 17:17 | comments(1) | trackbacks(0) |
      日本シリーズの新たな視点
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        今日から日本シリーズが開幕しますね。(ってもう始まってますね)

        セリーグはリーグ優勝を果たした中日が出場。
        パリーグはリーグ3位のロッテがCS(クライマックスシリーズ)優勝が代表に。

        つまり、セリーグ1位VS.パリーグ3位 の日本一争いとなりました。
        144試合を戦いぬき、一位になったソフトバンク・ホークスは無念のCS敗退です。

        それをうけ、先日ある新聞である元プロ野球OBがこんなことを書いていらっしゃいました。
        「かつて日本シリーズは、各リーグの優勝チームが各チームを代表して争うものだった。そのため優勝チームのファンでなくても、自分のひいきのチームが所属するリーグのチームをこのときばかりは応援した。つまり、プロ野球ファン全員が楽しめるものだった。しかし―。
        クライマックスシリーズが始まってからは、各球団のファンにとっては楽しみが増えたが、プロ野球ファン全体で楽しむものではなくなった。
        国民的イベントではもはやなくなったのだ」

        今回でいえば、ロッテと中日ファンしか興味がもてないだろう。
        そう指摘されたわけです。

        が。
        そんなことはないだろう、と思うのです。
        たしかに「かつて」の楽しみ方はできないかもしれません。
        がしかし、「新しい」楽しみ方は確実にあります。

        たとえば今回でいえば、3位のロッテを100%ヒール(悪役)と見立てるというのはどうでしょう。
        144試合で3位だったチームが優勝チームに苦汁をなめさせ、這い上がってきた。いわば、非正規代表チーム。
        それに対抗する、真の優勝チームでありセリーグ代表である中日が、144試合のペナントレースの威信をかけてロッテを退治する。それも、両リーグにとっての威信をかけて。

        セリーグ1位VS.パリーグ3位

        の対決はいってみれば、

        全プロ野球代表VS.ロッテ

        という構図で見ることができるのです。
        ちなみに、こういう構図のばあい、ロッテの役目がたいへん重要です。敵役を一手に担うという意味で(ダースベイダーが弱けりゃ、スターウォーズがシリーズ化しなかったのと同じことです)。
        プロレスでいえば、ベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)が戦うという構図ですね。つまり――。

        プロレス化するプロ野球。

        これが、今年の日本シリーズの楽しみ方なのです。
        両チームのファンでない方も、プロ野球にそれほど興味のない方も、今回の日本シリーズは楽しめると思います。
        そうです、プロレスを楽しむように見ればいい「だけ」ですから。

        というわけで、さ、観ましょ!

        (ちなみにぼくはどちらのファンでもありませんが、プロ野球の威信を守るために戦う中日を、今回ばかりは応援しようと思っています。けどロッテもがんばってほしいものです。ヒールは憎まれてナンボ、ですからね)
        | 思いついたこと | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
        ぜんぶ仕事
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          ミシマ社は、おかげさまで5年目にはいりました。
          この間、支えてくださった全ての方々に、心から感謝しております。
          本当にありがとうございます。

          その思いとともに、5年目の抱負を「ミシマ社の話」に記しました。

          そこには書ききれませんでしたが、ぼく個人としての目標は、「ぜんぶ仕事」のスピリットをもう一度、です。
          24時間、いつでも楽しく仕事をする。
          そんな気持ちでいることを常態化してしまう。すると、かえって、しんどくないものです。どんな突発的な仕事も「ふつう」なわけですから。

          そういう気持ちでやってきたのですが、つい、気が緩んでしまうことがあります。
          そうすると、如実に「形」となって現れます。
          怪我をしたり風邪をひいたりとふうに、体に出てしまうのです。

          先日もそう。

          二週つづけての、なかなかハードな北海道、九州出張が終わると、知らず知らずのうちに、「ぜんぶ仕事」モードが緩んでいたようです。
          その結果、その間の通常業務などが滞り、多少、焦りが出始めました。

          気持ちがゆるむと焦りだす。
          焦りは心のすきをうむ。
          心のすきは体にでる。

          この悪循環に陥った結果、先日、アキレス腱を傷めるという「失態」をおかしたわけです(twitterでは、みなさまアドバイスをありがとうございました)。
          ほんと、焦りは禁物です。

          というわけで、今年は「ぜんぶ仕事」モード全開で突っ走りたいです。

          5年目のミシマ社も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
          | 思いついたこと | 12:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
          自分の仕事の探し方
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            ミシマ社も採用でお世話になった東京仕事百貨が創業二周年を迎えるらしい。おめでとうございます!
            で、中村さんから電話があり、「二周年記念に本をつくるから寄稿するよう」言われた。
            はい。もちろん、書かせていただきます。
            で、与えられた議題がこれです。

            「自分の仕事の探し方」

            400字で書きなさいとのこと。
            ちょうど、ミシマガの「ミシマ社の話」用に、「入口から考える仕事論」というのを考えていたので、そのダイジェスト版をザザザと書きました(で、このブログで早速アップしてしまったので、次週の「ミシマ社の話」は違う話にします。たぶん、テーマは「一番病だった私」)。


            ●自分の仕事の探し方

            ある人は「好きなことを仕事にしなさい」と言う。けど、本当に好きなことなんてやってみないとわからない。ある人は「会社で選ぶのではなく、あなたに合う職種に就きなさい」と言う。けど、その「合う職種」っていったい何? それは果たして一人の人にとって一つのもの? もしそうなら、その一つに巡りあう確率は宝くじに当たるよりも低いだろう。その万に一を探し続けていたら、人生を無為にすごすことになりかねない。だから僕はこう思う。「出口じゃなく、入口から考えようよ」と。つまり、仕事へのアプローチを逆にするのだ。たとえば――どういうとき自分は気持ちよくなれるか。どういう人といると、仕事で喜びを得られるか――こんなふうに。では、「自分の仕事」の入口にはどうすれば近づけるのだろう? おそらく答えは、「自分を開くこと」だろう。不思議なことに、自分を開き続ければ、ある日、仕事が楽しくなってたりする。まずは自分を開ける場所を見つける。それが仕事探しの第一歩では?


            400字なので、説明不足の感はありますが、ベースにある考えは、「労働は喜びだ」ってことでしょうか。仕事ってやればやるほど、どんどん自分が自由になっていく。
            つまり「開かれていく」。
            本来、仕事はそうあるべきだし、そういう場所さえ見つけられたら、どんな仕事だって、気持ちいいものになると思います。「本が好きだから、編集者」とか言う仕事選びに、僕個人はずっと違和感をおぼえているんですね。
            そういう問題意識から書きました。たぶん、次々回の「ミシマ社の話」で、すこし関連した話を書こうと思います。

            そしてもうひとつ。
            実は、働く場所が楽しいかどうかには、全く別の要素もあるのです。
            それは何かと申しますと、ミシマ社で言う「オオコシさん的存在」があるかどうか。案外、これがもっとも大切だったりもするのですが、詳しくはまた明日。
            | 思いついたこと | 23:09 | comments(1) | trackbacks(0) |
            気合いで引越し、引越しで気合い
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              明日、自宅を引越します。

              自由が丘まで、ときに自転車、ときに電車で、多摩川を渡ってくる生活がいったん終了。今朝は、いつもと変わらぬ多摩川の景色を見ながら、ちょっとしんみりしました。今日でこの景色ともお別れか・・・。

              なーんて悠長な感慨に浸ることを、現実は許してはくれません。
              今から帰って、荷造り、掃除、袋詰め!
              あー、明日に間に合うんでしょうか。

              けど、そのあとには念願のmy roomが待っているのです。
              ぼくらの子どものころはまだ、「自分の部屋」という概念があまりありませんでした。たまに、マイ・ルームをもった友だちがいて、そういう人の家にいくと「いいなー」と思ったものでした。
              こんな空間あったら、めちゃくちゃ勉強するのに!(と思ったかは覚えてませんが・・)
              あれから30年近くたって、ようやく「自分の部屋」がもてる。
              4畳ほどの小さな部屋であれ、ぼくにとっては最高に幸せな出来事です。

              もっともっと仕事をするぜ!
              と意気込む日々なのです。

              実際、部屋をもてると思うだけで嬉しくなり、引越し作業もがんばれるってものです。
              明後日からは違う場所からの出社です。うっしっし。


              という個人的な話で何を申したかったかといいますと−−。

              ミシマ社の本、「気合い5.0」(半端じゃない気合いで引越しをし、引越しで気合いそのものをバージョン・アップするという無理くりな意味)でお届けしていきたいと思います。
              これからもどうぞよろしくお願いいたします。
              | 思いついたこと | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
              ぼくの内臓はぼくのもの?
              0
                ときどきミシマ社のお昼は哲学的だ。
                今日は、ちゃぶだいを囲んで、味よしさんのお弁当をつまんでいた。
                すると、一人が「わたし、断食しようと思うんです」と言った。はてさてなぜに?
                「必要以上にご飯を摂っていると思うんです。内臓にいっぱい余分なもの、要らないものがある気がして。それを一回全部出してしまいたいんです」

                あらまあ、そうですか。

                たしかに理屈はわかる。現代人は余分だらけだと思う。なくても全然困らないものばかりに、時間とエネルギーを使っている(ツイッターなんてその最たるものだと思う)。だけど、その余分が人を人たらしめてるんじゃないですか、とも思う。
                まあ、そんなことを語れば長くなるし、お昼ご飯もまずくなるから、貝のように口を閉じる。

                そしてぼくは静かに考えた。

                「内臓をクリーンにしたいと思うのは人間だけではないだろうか? たぶん、庭にある柿の木は、実の中身から余分なものをとりだし、「実」としてパーフェクトになること、なんてことは求めていないだろう。
                きっと、自分の身体の一部を、意識的に「変体」させようとするのは人間だけだ。そんな発想すら、人間以外にはないだろう」

                そもそも、とさらに考える。

                「ぼくの内臓と思っている内臓は、果たして「ぼくのもの」なのだろうか。
                ぼくの体の中にはあるけれど、だからといって、ぼくのもの、ということになるまい。人間の身体をひとつの容器とみたてたら、内臓は、そこに収まる食品たち。とすれば・・・。
                その容器に収まっている食品は、その容器のもの、だろうか。ちょっと、そう捉えるには無理がある。
                容器は容器、食品は食品。そして、その食品の中に入っている、種やら実やらも、たまたまそこに入っているものにすぎない。つまり、実は実、種は種・・・」

                そんなふうに考えていくと、ひとつの疑問に必ずつきあたる。

                ぼくの中の内臓と、庭にある柿の実の間には、いったいぜんたい、どういう違いがあるのだろう?

                今のぼくにはわかりません。そして、こんな思考をしていたとは、昼食時にはとてもいえません(だって、おいしくなくなりそうだし)。

                だから、ちゃぶ台を囲んで食しつつ、ぼくはこう語ったのです。

                「断食、いいんじゃないですか。やりたいなら止めないですよ。
                ただ・・・」

                そうすることで、世界が広がる方向へ向かうといいな。
                自分の世界と周りの世界とまだ見ぬ多くの他者の世界が。
                | 思いついたこと | 14:36 | comments(3) | trackbacks(0) |
                遊牧注意報
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                  遊牧注意報、発令中。遊牧注意報、発令中。

                  はい、そうです。現在ミシマ社内では「遊牧注意報」が出されております。

                  ここで念のためご説明しますと、遊牧注意報とは、『遊牧夫婦』を読んだ人が全てを投げ出し、突然「遊牧」にでかねない前段階の状態をさします。
                  「何か」を察知したわけではありません。
                  何かを察知してからでは、手遅れです。そのときは、もう「遊牧決定」になっているでしょう。ですから、気配が出る前の今、注意報を発令しなければいけないのです。

                  そういう意味で、7月初旬に出る『遊牧夫婦』は人を旅へと促すパワーがあります。もっとも、こういう即効性があるのは、おもしろい本につきものでもあります。『謎の会社、世界を変える。』を読むと、たいてい、起業したくなったり、ベンチャーで働きたくなったりするのと同じです。

                  いい本とは、時に罪深き本でもあります(とはいえ、『ボクは坊さん。』を読んだ人が、「坊さんになりたい!」と思った、なんて声は聞いたことがないので、一概には言えないですが)。


                  おそらくこれからの数ヵ月、ぼくは、社員の「遊牧熱」を冷ますことに奔走することでしょう。うれしいような、かなしいような(だけど、遊牧一番乗りはぼくが密かに狙っているのです。うっしっし)。

                  これも一冊の力ですね。
                  | 思いついたこと | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  フィラデルフィア・ローヤーにならないために
                  0
                    エニグモの田中さんがブログですごく大切なことを書いている。
                    一部引用させていただく。

                    英語のスラングでphiladelphia lawyer (フィラデルフィア ローヤー)
                    という表現がある。

                    法律にすごく詳しく、やり手の弁護士という意味もあるが、

                    スラング的な意味としては、
                    物事を必要以上に複雑にしたり、
                    狙いがあって意図的に話を変える人のことを指す。


                    ひとことでいえば、困った人である。
                    こういう人にかぎって、自分ができると思っていたりするから、いっそう厄介だったりする。
                    田中さんが言うように、ぼくも、こういう人に会うと、反面教師として気をつけるようにしている。
                    そのとき、何を気をつけているかというと、「こだわらない」ということに尽きる。
                    こだわりをもっちゃいけないな、と。

                    では、どうすればこだわらない人になれるのか?

                    ひとつの解は、「立場」に執着しないことだろう。
                    たとえば、ミシマ社を例にとって考えてみたい。

                    ミシマ社には、編集、営業、仕掛け屋、経理という大きく4つのチームがある。そして8人全員が全チームに属すというやり方をとっている。その理由は、自分が属するチームだけの視点から物事を見て、判断すると、全体にとって不利益なことが多々起こるからだ。ぼくは、そういうのを会社を作る前に、実際に見たり、経験したりして、すごく「不毛」に感じていた。
                    正直、「なんなんだよ! 自分の立場からだけモノ言うなよ」
                    と思った。そして、「なら、フリーになれよ」と思った。
                    じっさい、その通りだと今も思っている。
                    「自分の得意なのはこうなんで」
                    というふうに、自分の立場を相手に理解してもらって仕事をしたいのならば、自分の仕事に「全責任」をもつしかない。
                    つまり、それが許されるのは、「フリー」の人たちだけなのだ。

                    しかも、重要なことは、仕事は「自称」であってはいけない。
                    「オレはこの会社であの分野について一番知っているんで」と言ってみたところで、しかたがない。
                    仕事というのは自分ではなく、他人がつくるものなのだから。

                    「いい仕事してるね!」
                    「これやってくださいよ」

                    と他人から頼られて、依頼を受けて、はじめて「その作業」は「仕事」となる。
                    どうも、philadelfia lawyer には自称が多い気がしてならない。

                    話は少し逸れたが、だから自社においては、絶対にそういう不毛な行為を認めたくないし、そういう空気をそもそも作りたくないから、全員全チームとしているわけだ。
                    「仕掛け屋として」「営業として」あるいは、「これはオレがよく知ってるんで」的態度でコミュニケーションをとりだしたら、ミシマ社は確実にストップしてしまう。
                    それは、「経営者として」ぼくが唯一、絶対避けなければいけないと思っていることである(それ以外において、ぼくのポジションはこの会社では一切機能しません。だって、全部に属しているわけだから。そんなもん、そもそもない、わけだ)。


                    長くなったが、
                    philadelfia lawyer にならないために重要なことは――。


                    もう、すでに書いたとおりですよね。
                    気をつけなきゃ。
                    | 思いついたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    to All Editors
                    0
                      今日、『デザインのひきだし』の津田さんにお会いしてきました。

                      あーーーー、おもしろかった。
                      ひあーーーーー、楽しかった。

                      取材のあと、思わず飛び上がりたくなるくらい元気いっぱいになりました。

                      とにかく、すごかった。こんな編集者がいらっしゃったんだ、と腰が抜けそうな衝撃を受けたのです。
                      『デザインのひきだし』が出るたびに度肝を抜かれていましたが、その作り手でいらっしゃる津田さんご自身が、やはり、飛びぬけたエネルギーとバイタリティの持ち主でした。
                      詳しくは、来月号からのミシマガジンでご紹介いたしますが、なんと、あの凝りに凝った一冊を、たった一人で企画編集されているのです!

                      一冊をつくるたびに、2〜300人と名刺交換をするらしい。
                      4カ月かけてつくる最初の一カ月は、ありとあらゆる関係者に話を聞くという。取材ではなく、あくまでリサーチとして。
                      実際の取材は、「全部」津田さんが行くらしい。
                      そして、半分近くは、自分でまとめまでするそうだ。
                      しかも、「一冊」をつくるのに、複数の印刷所、加工会社、製本所さんなんかを巻き込んでいく。・・・・・

                      いやはや・・もう言葉が出てきません。
                      完全に打ちのめされました。

                      こんなエディターがいたなんて!

                      いやぁ、自分ってぜんぜん甘いなぁ。というか、これくらいやらなきゃ、ほんまもんやない! とすさまじく熱くなったのでした。

                      すごい一冊にはすごい人がいる。
                      あらためて痛感した次第です。

                      「編集」と名のつく職業についている方は、「デザインのひきだし」は必携! と声を大にして申し上げたいです。「一社に一冊」ではなく、「一人一冊」もっておかねばならぬ本だと心の底から思います。

                      なぜなら、「THE BOOK」ですから。

                      津田さん、豪快で爽快で愉快なお話、本当にありがとうございました!
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