今度は関西在住の学生さんへ!

ミシマ社京都城陽オフィスで、仕掛け屋Jr.を募集します。
これからミシマ社では、西日本での出版活動を本格的に盛り上げていこうと思っています。

そのなかでもっとも肝となるのが、本屋さんでの店頭POPやパネルです。
なぜなら、そうした仕掛け材が、それがなければ、出会うことのなかったかもしれない読者の方との出会いを導くからです。

ミシマ社では、この仕掛け屋仕事を大変重視しています。
東京自由が丘オフィスでは去年から仕掛け屋Jr.として10名ほどの学生さんにときどき手伝っていただいています。
会社ではジュニアの愛称で呼んでますが、彼ら彼女らの活躍が間違いなく、ミシマ社の活動を支えてくれています。

こうした動きを関西でもおこないたく、大声で募集をはじめます!
関西の学生さーん、集まれ〜(闘莉王風)。
とりわけ、大きなパネルを作ったり、切ったり貼ったり、デザインしたりが好きな方に来ていただけると大変助かります。

来れる日だけで大丈夫です。ぜひご参加くださいませ!

場所:京都、城陽(近鉄・久津川駅)

連絡先:0774-52-1750
hatena@mishimasha.com
お名前、大学名、学年、連絡をご明記ください


ご参加お待ちしております!
よろしくお願いいたします。
受付終了しました。ご応募いただきました皆様、ありがとうございました。

ミシマ社では、デッチを募集することにしました。

インターンでなく、デッチです。
昨年の初デッチにつづき、今年は初募集します。

文平銀座同様、ぼくたちのほうから何かを教えることはあまりないと思います。けれど、自分から訊ねてくる方には気持ちよくお答えします。
そもそも、仕事は自分で見つけていくものですからね。そういう意味で、実践の場で、本気で何かを学びたいと思っている方に来ていただけると嬉しいです。

募集人数は、各期間、1〜2名です。



◉デッチの内容

仕掛け屋仕事 (これは仕掛け屋ジュニアと同じです)
編集や営業のお手伝い(「庭に水まいてといて〜」というのも含みます)
Web雑誌「ミシマガジン」の編集アシスタント
デザイン事務所などへの受け取り・受け渡し業務
発送業務などなど

◉デッチの期間等
①9月26日より、1カ月〜1カ月半
②10月24日より11月末まで
*2期間の募集となります。どちらかにご参加いただく予定です。期間の希望は特に明記いただかなくて大丈夫です。

*デッチ勤務時間
午前10時〜午後6時まで

*勤務地
ミシマ社東京自由が丘オフィス

**お給料などは特にありません。交通費などの実費のみとなります。


◉応募条件
基本的には学生さんを考えています。
週に2〜3日は出社できる方。
ミシマ社の本が好きな方。
本気で何かを学びたいという方。
将来、営業であれ、編集であれ、出版人として生きていきたいと思っている方。
*ですので、今回は、ちょっと出版社を覗いてみたい、という方はご遠慮ください。「寺子屋ミシマ社」などのイベントのほうに、ぜひご参加くださいませ。

◉募集期間
本日より2011年9月19日午後9時まで
◉応募方法
メールで下記を添付のうえ、お送りくださいませ。
hatena@mishimasha.com
件名:デッチ!
住所、氏名、連絡先などを記した履歴書・作文(志望理由・ミシマ社の本を読んでの感想(その本と、どこでどうで出会ったかも、記述いただけると嬉しいです))


一緒に働くことができるのを、今から楽しみにしています。
先ほど京都は、城陽に着きました(ぜぃぜぃ)。
暑いです。
東京も京都も、どっちも暑いです。

普段、二名しかいないオフィスなのに、スペースだけは広いのでクーラーの効きもいまいち。
まさに真夏の労働って感じがして、ナイスです。

ひと月ぶりに来たら、複合機が来てました!

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わお〜。
城陽オフィス、進化してる。

自由が丘も大好きですが、こっちに来るとこっちも「いいな〜」と思ってしまいます。
窓から見える青々とした草木を見ていると、なんというか、「可能性の宝庫」のような気がしてなりません。
これからが、ほんと楽しみです。

今日は、こちらで「小さなパーティー」を開きます。

五年前、自由が丘で、まだ一人出版社だった頃、一人なのに全然寂しくなかったのは、毎日のように誰かが来てくださったからでした。
来てくださると、学生さんはじめ皆さん、仕事を手伝ってくださって。それも、ほぼボランティアで。
「そういうの」がほんとありがたかったです。逆にいえば、「そういうの」は、創業期には必ずセットのような気もします。

城陽でも、「そういうの」がいっぱい出てくるとうれしいな。

今日はその第一歩です。

会社のメンバーからは、びっくりのプレゼント。
チェ・ゲバラならぬ「チェ ミシマ」Tシャツをつくってくれたのです!

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黒以外に、白と赤地の三種類。
(なぜか赤地だけは、プリント部分が腹の位置にきていて、笑えます。昨日、お会いした人に爆笑されました。)

ちなみに、このTシャツの発案者は、寄藤文平さんだと思います。
ある日、「ミシマ社5周年Tシャツをつくろうと思うのですが、どんなのがいいと思いますか」と訊ねたところ、寄藤さん、グフグフ笑いながら、「三島さんの顔がゲバラになってるの」。
まさか、そのときのアイディアが誕生日プレゼントになろうとは・・。

実際のデザインと作業をしてくれたトミタさん、そしてこっそり製作を進めてくれたミシマ社メンバーに、心から感謝です。
ありがとう!

気分は、ゲバラ。
けれど、あくまで、ほっこりと。

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(袖のほっこりゲバラが、ほんと最高!)

昨日のメールマガジンに掲載しました、ご挨拶文をそのままこちらに再掲いたします。ミシマ社の思いを簡単にまとめたものです。





東日本大震災で被災された皆さまへ、心からお見舞い申し上げます。

****


「阪神淡路大震災で故郷が破壊されたとき、未来に対する私のモラトリアム的思考は揺さぶられた。明日さえわからないのに未来など考えられないとう そぶくのではなく、明日生きることをまず考える、その積み重ねが未来をつくると知った。未来は、私という個体の死をやすやすと超えていく。なら ば、せめてこの世に生を受けた奇跡を大切にしたい。自分ができることをするだけだと思った」

未来への周遊券』の最初の手紙に、最相葉月さんがお書きになったことばです。最相さんのお手紙に対して、瀬名秀明さんがお返事として書かれた文 がこれです。

「突然の災害や病気や死は、人が夢見ていた未来を容赦なく変える。・・・未来は予測できない。だが運命への平静さと勇気と知恵を持ちたいと願い、 生きるその工夫は、私という個体が未来のために今できることなのかもしれない」


お二人のこのやりとりは、昨年2月の発刊当時からずっと心から離れませんでした。ですが、あのとき、今ほどこのことばの重みを感じること はできていなかったように思います。
何度も何度も読み、ずっと忘れずにいたい言葉。
日本中の方々と共有したいと思い、往復書簡から引用させていただきました。


瀬名さんは、今も仙台から、「運命への平静さと勇気と知恵」をもって、筆をとっていらっしゃいます


私たちも、今を全力で生きることを誓います。
そして必ず、被災地の皆さまが喜んでいただけるような出版活動をしてまいります。

そのひとつのきっかけになればと思い、地震を機に一時的に、ミシマ社を全社ごと移転した京都府城陽市で(現在は、東京と城陽の二カ所で運営しています)、「寺子屋ミシマ社」を開催します。
近い将来、東京一極集中から、日本各地で「小さなメディア」が中心となって活躍する時代が来ると思います。
そのために必要な動きは、こういうことだと考えています。
地域と市民とが支える、パブリックな「メディア」づくり。いってみれば、Jリーグ・モデルのような出版活動です(弊社では、以前から「出版100年構想」を掲げております)。

そういう将来像を描きつつ、今自分たちにできることとして、「寺子屋ミシマ社」を通じての「出版とはあまり無縁だった地での出版づくり」をめざし ます。
(寺子屋ミシマ社 の詳細はこちらをご覧くださいませ)

温かい場にしたいと思います。
ぜひお集まりいただければ幸いです。

「未来へ」

しずかな声で呼びかけたいと思います。

ミシマ社代表 三島邦弘
いつも行動が先にあります。意味はいつだって後。
会社をつくったときもそうでした。
「出版社をつくるんだ!」
その思いは、衝動としかいえないもので、「そうしなければならない」絶対的な指令として自分を内から突き動かしました。

3月16日の未明、京都へと突然移動した行為も同様です。
15日の夕刻、「自宅待機」を決めてから数時間後には、社員全員に「明日の早朝、京都へ行くから荷造りを」という連絡を入れていました。
なぜ? どうしてこんなに急に?
社員のなかにもそういう疑問を抱くものがいました。当然です。
あまりに全てが唐突だったのですから。
けど、自分にとってはそれは「必然」であり「そうしなければいけない」激しい衝動に駆られていました。
もちろん、意味はわからないままに。

あれから二週間がたった今も、まだ意味を見出すのは早い気がしています。
ただ、おぼろげながらに見えてきたこともあります。

それはひとことでいえば、「新しい社会」へ向けての不可欠の一歩だった。
そういうことではないかという気がし始めています。

地震が起きてからの数日、映像で見る被災地の状況に、心が折れんばかりの時間をすごしていました。ただただ自身の無力感に苛まれていました。

その時間に耐えられなかった。
というのも、もちろん理由としてあるはずです。
ただ、そこには個人的な理由とともに、ミシマ社を立ち上げた者として、公的な理由も多少はあったろうと思います。
この出版社をなんとか世の中で役立たせたい、そうした創業の思いが、このときも皆無であったはずはないですから。

おそらく、復興が進むなかで、いずれメディアが果たす役割が大きくなるでしょう。そのとき、自分たちが来るべき社会にふさわしいメディアでいることができるかどうか。

大量消費、大量廃棄を前提とした生産モデルとはちがう社会。
「非効率」を許容する会社を前提とした社会。

そうした社会がいずれできたとき、そうした社会にふさわしい出版社であらねばならない。
というよりも実際には、そうした社会になっていくための行動を、日々とっていかねばならない。
いま、強烈にそうした思いを抱いています。

この瞬間も、被災地の方々は苦難に直面しておられます。
そのことに無自覚であってはならないと思います。
ただし、直接的にはぼくたちは無力でもあることも事実です。

そうしたぼくらにできることは、新しい社会のメディアに向けた一歩一歩を確実に歩んでいくこと。それに尽きるのではないか。そう感じています。

その第一歩が、本日より正式にスタートします。
ミシマ社・京都オフィス。
偶然、受け入れてくださった城陽という町で、そのままメンバー二人が残ることになり、思いがけず出版社を運営することになりました。
(15日夜、京都に移動したときにはまったく考えていなかった展開です。)

出版社のない地・京都の城陽市でのスタート。ここに、もしかすると「意味」はあるのかもしれません(それはまだわかりません)。

ともあれ、大越、窪田の城陽・常駐組とともに、東京オフィスのメンバーも、同じ方向を向いて、日々の活動にとりくんでまいります。

目の前は、まだ道なき道。
その道を道にしていく。

強い意志と信念をもって、行動しつづけようと思います。
意味はそのあとついてくる。そう信じて。

いまは行動最優先でいきます。


これからも、ミシマ社を何卒よろしくお願い申し上げます。
書店のみなさま、関係者のみなさま


大変ご迷惑をおかけしておりました。
3月16日以降、一時的に自由が丘のオフィスを京都に移しておりましたが、本日(3月28日)より、すべての業務において、通常通り東京で再開いたします。
当初より、「一時的移転」を一週間くらいかと漠然と考えていましたが、それより少し長い10日と少しとなりました。
余震も減り、自由が丘でのオフィス再開が確信できたのが、今回の主な決定理由です。

なお、京都仮オフィスも、大越と窪田がそのまま残ることになり、そちらも先週同様、通常営業しております。

あらためて詳しく説明いたしますが、
今後は、東京と京都のふたつを拠点に、ミシマ社の活動を行っていきます。

ひきつづき何卒よろしくお願い申し上げます。


これからも、全力で日々の活動に取り組んでまいります。
そのひとつひとつが、希望の光とならんことを信じて。
東京はひっそりと。

昨晩(26日)、社員4名とともに、東京へ戻ってきたときの第一印象です。
それは、東欧などを旅してたころの感覚に近く、ぼくにとっては、けっしてなじみのないものでもなく、まったく不安なものではありませんでした。

がんばろう。

ただ、その思いだけが全身をかけめぐりました。

さて。
以下、余談です。

京都から東京へと向かう道中、沼津インターで下車し、三嶋大社へ寄りました。
なんといっても、創業以来、弊社を見守ってくださっている三嶋大社の神棚(
偶然、名前が一緒だったので、一方的に氏神様と思い仰いでおります)。
それを正式に発足する京都オフィスへ引き継いできたため、東京は神棚不在となっていたのです。
もちろん、その状態で東京オフィスを再開するわけにはいきません。

17時半、ぼくらを乗せたミシマ社・ノア号が、大社に到着。
「もう閉まるよー。急いでください」、と警備員のおじさんに急かされつつ、何度も訪れている大社の一番奥へと急ぎ足で向かいました。

ぎりぎりセーフ。
と思ったのもつかの間・・・。

本殿の正面の扉がゆっくりと閉められていくではないですか。

このまま拍手も打たずに、三島を後にできるか!

とメンバーが思ったかどうかは知りませんが、一同、同時にお賽銭を放り投げ、そろって拍手を打ったのでした。
(自社ながら、お見事〜)

そして、お祈りをおえた瞬間、ぴたり、と本殿の門が閉められたのでした。
(パチパチ)

こうして新しい神棚とともに、自由が丘へと戻ってきたミシマ社東京チーム。

もちろん、持ってかえってきたのは、神棚だけではありません。
「これからの希望」もしっかり持ってきました。

それについてはあらためて。
一週間前の今日、京都の仮オフィスに移動してきました。
毎日少しずつですが、オフィスとしてのいろんなものが整ってきています。
なんだか起業時みたいです。

昨日は、仕掛け屋・林が、「看板」をつくってくれました。

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なぜだか偶然にも、京都のオフィスも一軒家です。(しかも期せず、いくぶんグレードアップしている・・・)

一週間たってあらためて思います。
一時的にであれ、こちらに移ってきてよかった、と。
先週もしそのまま東京にいても、ひたすら「待機」にせざるをえなかったと思います。
が、それではミシマ社としての本来の役割を果たすことはできません。
ミシマ社の創業からの理念である、「出版活動を通して世界を面白くすることに貢献する」という役割を。

東京で、「何もしない」でただ待つか、あるいは、古い木造家屋で余震におびえ震える時を送っていたか。

そのどちらでもなく、ほぼ通常どおり出版活動を継続維持することができたことは、自分たちの本来の役割に徹することができたということ。そう思っています。


そしていま−−。

着実にミシマ社は動いています。
少しずつではありますが、外に向かって、しっかりと。

「今できること」は人によって、会社によって、千差万別。おそらく、どれひとつとして「正解」はないと思います。

ぼくたちは、日々、ミシマ社ができることを、ただひたすら誠実におこなっていきたいです。
看板どおりに、ほっこりと。
東京の出版社の方々へ


いつもお世話になっている方々も、はじめまして、の方々も、はじめまして。ミシマ社の三島です。

このブログでもお伝えしましたとおり、現在、ミシマ社は京都の城陽市に一時的にオフィスを移転しております。
(理由に関しましては、こちらをご覧いただければ幸いです)

つきましては、各出版社の方々へ、お願いがございます。

弊社では、私が一人で創業して以来、メンバーが増えてからも、ずっと編集プロダクション業務をおこなってきております。
オフィス1975という屋号で数々の書籍や雑誌を編集してまいりました。

そうした編プロ業務やミシマ社本の制作ふくめ、先週、いろんな仕事がちょうど落ち着いていたため、急遽、京都移動が可能となったのですが。
こちらに来て以来――。
東京の編集者の仲間からは、「東京での取材がつぎつぎキャンセルになって、誌面が埋まりにくくなっていて・・」という声がちらほら。
ならば、関西でできることをミシマ社メンバーでやります! という話し合いが先ほど社内でもちあがりました。

というわけで、何か私たちのほうでできるお仕事がございましたら、ご一報いただければ幸いです。
(もちろん、通常どおり、東京での編集活動もひきつづきおこなっていきます)


●ご連絡先: hatena@mishimasha.com



さいごに、ミシマ社編プロの責任者・大越よりひとことご挨拶。

「関西でお仕事をさせていただくのを、楽しみにしております!」(大越)

どうぞよろしくお願いいたします!